【加筆】五大シャトーの一つ、シャトー・マルゴー

左岸

ボルドーのワイナリーで一番有名なのは五大シャトーではないでしょうか。

五大シャトーで唯一マルゴー地方に位置しているChâteau Margauxシャトー・マルゴーについてです。

五大シャトーや格付けに関する記事が色々あるので、よろしければどうぞ。

歴史

今回の歴史、めっちゃ長いです…!

お時間あるときにゆっくりどうぞ。

12世紀

Château Margauxシャトー・マルゴーは当時、「la Mothe de Margauxラ・モス・ド・マルゴー」と呼ばれていましたが、当時はまだブドウ畑はありませんでした。

メドックの様に平たんな場所では「motteモット(小丘の意)」で区別され、グラン・ヴァンは水はけのよい傾斜のある場所で生産されます。

それにより、「la Mothe de Margauxラ・モス・ド・マルゴー」と呼ばれていたと言われています。

1152~1453年

アキテーヌ地方は英国領土となり、ボルドーワインは特権を与えられていました。

また、ボルドーワインは12世紀の英国王であるRichard Cœur de Lionリチャード・クール・ド・リヨンの食事の時に採用されていました。

 

la Mothe de Margauxラ・モス・ド・マルゴー」の歴代の所有者は重要な役割を担っていましたが、de Lestonnacド・レストナック家がワイナリーの所有者になるまで、今現在私たちの知るワイナリーではありませんでした。

1572~1582年

Pierre de Lestonnacピエール・ド・レストナックはブドウ畑と所有地のすべてを再建することにしました。

これは穀物栽培をやめ、ブドウ栽培を行う、メドックの発展を予感させるものでした。

当時、Château Margauxシャトー・マルゴーに限らず沢山のワイナリーが穀物栽培の専業/兼業を行っていたことをご存知の方もいらっしゃるのではないでしょうか。

17世紀

Château Margauxシャトー・マルゴーは265ヘクタールの土地を所有し、以降土地を増やす/減らすことはありませんでした。

所有地の3分の1はブドウ畑で、これも現在に至るまで変わっていません。

残りの3分の2はお城や森などの自然で構成されています

 

イングランドとオランダは「claretクラレット」を消費していました。

このワインは色も淡く、熟成もしておらず、現在で言うとロゼワインと赤ワインの間の様なものでした。

当時からCChâteau Margauxシャトー・マルゴーはワイン造りで有名で、既にボルドーワインの格付けが形作られていました。

18世紀初頭

何世代、何世紀にわたって、Château Margauxシャトー・マルゴーのワインを素晴らしいものにしてきました。

特に18世紀初頭の管理人Berlonベルロンによるものが大きいです。

当時、ブドウ畑では同じ区画に色々なブドウ品種が植えられていましたが、Berlonベルロン氏は最初に黒ブドウと白ブドウを別々に醸造しました。

余談ですが、現在に至るまで同じ区画に様々なブドウ品種を植えているワイナリーも現存します

そして、霜に覆われた中でのブドウ収穫は余分な水分があるために色が薄くなるので、収穫を夜明けにしない様に指示しました。

これは、現代のワイン醸造の始まりとも言われています。

Berlonベルロン氏はさらに土壌の重要性も理解していました。

つまり、既に最良の区画を知っており、テロワールの影響がワインの品質に現れることを知っていました。

1705年

London Gazetteロンドン・ガゼット)は230の大樽のMargoseマルゴーズを含むボルドーのグラン・クリュの最初のオークションを開催しました。

1771年ビンテージはChristie’sクリスティーズのカタログに載った最初のclaretクラレットです。

 

イングランド首相Robert Walpole(ロバート・ウォルポール)卿はボルドーワインびいきのエリートの一人でした。

彼は年に4回4樽のマルゴーワインを購入しましたが、常に支払っていた訳ではありませんでした。

 

プルミエ・クリュの名声は大西洋を横断し、アメリカ大使Thomas Jeffersonトーマス・ジェファーソンChâteau Margauシャトー・マルゴー(つづりは現在と違うが、原文まま)を含め最高のボルドーワインの階級を既に示していました。

彼は1784年のマルゴーを注文し、これ以上のワインはあり得ない、と書きました。

18世紀中期

当時の所有者であるJoseph de Fumelジョゼフ・ド・フュメルは最高の区画に「ブドウ品種を選んで」植えました。

彼はメドックにおいて砂利質の土壌だけが高品質のワインを生産できることに気づいたからです。

フランス革命

ボルドーの黄金時代の終焉。

Hargicourtアルグクール伯爵でMargauxマルゴー領主のElie du Barryエリ・デュ・バリー氏は恐怖政治によって死刑台に送られました。

 

Château Margauxシャトー・マルゴーは国有財産として、革命家によってオークションにかけられました。

3世紀にわたってマルゴーを守ってきた、Lestonnacレストナック家、Pontacポンタック家、Aulèdeオデール家の最後の子孫であるLaure de Fumelラウレ・ド・フュメルはワイナリーを買い戻しました。

1801年

彼女はワイナリーをオークションで売却しました。

 

Colonillaコロニヤ侯爵Bertrand Douatベルトラン・ドゥア氏がワイナリーを購入しました。

Bertrand Douatベルトラン・ドゥア氏は財産と称号を持ってスペイン出身のバスク人です。

彼はとりわけロシアとの交渉のためのスペイン政府の船主兼代理人でした。

彼がフランスに戻った時、既に50歳を超えており、ボルドーではなくパリに住んでいました。

実際にはブドウ畑にあまり興味はなく、Château Margauxシャトー・マルゴー経営は彼の社会的名声を高めるためのものでした。

1810年

Colonillaコロニヤが70歳になり、既存の邸宅はワイナリーの名声に値しないものだと考え、現存する城と製造にかかわる建物の建築を始めました。

彼はボルドー出身の建築家Louis Combesルイ・コンブに城の建築を依頼しました。

しばしば「le Versailles du Médocル・ヴェルサイユ・デュ・メドック(メドックのベルサイユ宮殿)」と評される城は、フランスでは珍しいネオ・パラディアン様式の建物です。

貴族の邸宅だけでなく、農業企業であるので、天才Louis Combesルイ・コンブは城の両側にワイン生産に関わる建物を建て、小さな集合地をつくりました。

当時、ボルドーから1日かかるほどの遠隔地でもあったため、配管や機械の作業を行うアトリエも建築しました。

また、醸造室や熟成室、樽工房も建築しました。

さらにワイナリーの入り口にあるプラタナスの長い小道によって、世界中からの訪問者が調和のとれた素晴らしい建物を目にすることができます。

1816年

Colonillaコロニヤは一度も城に住むことなく、亡くなりました。

 

Colonillaコロニヤの子供たちはワイナリーに興味を持たず、Alexandre Aguadoアレクサンドル・アグアドに売却されました。

Alexandre Aguadoアレクサンドル・アグアドはボルドーの偉大なワイナリーを購入した最初の銀行家でした。

彼は既に莫大な財産を所有していたので、Château Margauxシャトー・マルゴーは資産を増やすためのものではなく、エレガントで快適な滞在のためのものでした。

彼はすぐに金融業をやめ、Château Margauxシャトー・マルゴーというサルスエラ(スペインの伝統的な小規模オペラ)を制作したRossiniロッシーニのパトロンとなります。

1836年

Alexandre Aguadoアレクサンドル・アグアドは若くして亡くなり、イタリアとスペインの絵画コレクションをルーヴル美術館に遺贈しました。

彼の主な遺産はNapoléon IIIナポレオン三世の装飾でした。

この時代をよく表しており、そのほとんどはGinestetジネステAndré Mentzelopoulosアンドレ・メンツェロプロスに売却されるまで残されていました。

1855年

皇帝Napoléon IIIナポレオン三世はパリで開催された第二回世界万博でメドックの素晴らしいワインを含む、フランス製品を世界に伝えました。

彼は、これらのワインを等級として提示させるため、ブラインドテイスティングがパリで行われ、メドックの60のワイナリーと、グラーヴのワイナリーを5段階に分ける1855年の格付けが完成しました。

4つのワイナリーがPremier Grand Cru Classéプルミエ・グラン・クリュ・クラッセ(格付け1級)に選ばれ、マルゴーは唯一20点満点を獲得しました。

18世紀には既にpremiers crusプルミエ・クリュ(1級)のワインは既にdeuxièmes crusドゥジエム・クリュ(2級)のワインの倍の値段で販売されていました。

1855年の格付けは、18世紀のThomas Jeffersonトーマス・ジェファーソンのそれを含む、非公式の格付けを生みました。

  第二帝政時代、ボルドーからパリへの鉄道が開設し、自由交流協定により、商業が盛んになったため、ボルドーは黄金期を迎えます。
1879年

Eugénieウジェニー后のダムドヌールで、Aguadoアグアドの息子と結婚したスコットランド人のEmily Macdonnelエミリー・マクドネルPillet-Willピレ・ウィル伯爵に売却しました。

 

この時代、メドックは世界恐慌とcryptogamiquesクリプトガミック病(隠花植物の病気)の大打撃を受けます。

さらに、ブドウ畑はカビ、うどんこ病、ベト病などの被害を受けます。

そしてアメリカからフィロキセラ到来し、ブドウ畑はさらなる被害を受けます。

1893年

Château Margauxシャトー・マルゴーの生産は新しい薬剤散布やブドウの植え替えによって再開されます。

この年はタンクが足りなくなるほど豊作で、6日間収穫を止めなければならないほどでした。

フィロキセラ前の素晴らしい年である1870年を超える年が生まれました。

 

植え替えによってできた若木から収穫されたブドウは、最適な品質に達していなかったので、「second vinスゴン・ヴァン(セカンドワイン)」であるPavillon Rouge du Château Margauxパヴィヨン・ルージュ・ドゥ・シャトー・マルゴーとして販売されました。

1896年

Pillet-Willピレ・ウィル伯爵は信頼できるPierre Moreauピエール・モローに出会います。

彼は後に経営者として重要な立場となります。

1908年

将来Château Margauxシャトー・マルゴーの株主となる組合をつくります。

 

Marcellus Grangerouマルセルス・グランジェロウをセラーマスターに任命します。

その後息子のMarcelマルセルと孫のJeanジャンに引き継がれます。

1924年

Pierre Moreauピエール・モロー)が行った最も重要な改革は「ワイナリーでの瓶詰め」を義務化したことです。

これにより、購入者に本物であることの保証をすることが出来ました。

樽での販売/輸出をしていたことで、贋物が沢山流通していたのです。

1946年 Château Margauxシャトー・マルゴーが歴史遺産に登録される。
1950年頃

ネゴシアンとして富を築いたFernand Ginestetフェルナン・ジネステは、Saigonサイゴン市長でワインのインポーターである友人がワイナリー購入の際に必要な資金を彼に送りました。

そしてGinestetジネステ家がワイナリーのオーナーとなります。

 

Fernand Ginestetフェルナン・ジネステと息子Pierreピエールブドウ畑の再構築を行います。

Pierreピエールの息子Bernardベルナールがネゴシアンの跡を継ぎ、ボルドーで最も名誉ある商社となります。

1970年代

不況と1972年、1973年、1974年という不出来の年に見舞われ、PierreピエールBernardベルナールを窮地に追い込みます。

1975年 売却可能だった唯一の資産であるChâteau Margauxシャトー・マルゴーの売却を決めます。
1977年

売却まで2年の年月を要し、André Mentzelopoulosアンドレ・メンツェロプロスがワイナリーを購入します。

メドックがギリシャ人の手に渡ったと、ワインの世界に衝撃を与えました。

城のイオニア式の柱が彼に生まれ故郷であるギリシャを思い出させ、シャトーマルゴーをトップの座に戻す試みを行います。

彼は1915年、PéloponnèseペロポネソスPatrasパトラに生まれました。

ホテル経営をしていた彼の父は、多くのギリシャ人の夢である、海外で富を築くために子供たちに外国語を教え、彼は6カ国語を話しました。

André Mentzelopoulosアンドレ・メンツェロプロスは父親の期待に応え、グルノーブルで文学の勉強をした後、中東、ビルマ、中国、インド、パキスタンに旅立ち、穀物貿易によって富を築きます。

ヨーロッパに戻り、フランス人と結婚し、1844年創立、地域に80店舗持つ食料品店Félix Potinフェリックス・ポタン社を1958年に買収します。

André Mentzelopoulosアンドレ・メンツェロプロスはこの会社を1600店舗を持ち、パリに不動産を持つ食料品流通会社にします。

それまでは、投資家たちは格付けワインに興味がなく、オーナーは土地に価値をつける手段を持っていませんでしたが、ボルドーワインは深刻な経済危機と品質面からの脱出しました。

彼は先見の明があり、すぐに収益を上げることを期待せず、投資を行います。

その行動はブドウ畑や醸造室、城においても優れたもので、有名な醸造コンサルタントEmile Peynaudエミリー・ペイノーの下、排水や畑の植え替えを行いました。

Pavillon Rouge du Château Margauxパヴィヨン・ルージュ・ドゥ・シャトー・マルゴー(セカンドワイン)を復活させ、Pavillon Blanc du Château Margauxパヴィヨン・ブラン・ドゥ・シャトー・マルゴー(白ワイン)を再定義しました。

さらにMonuments Historiques de Franceモニュモン・ヒストリック・ド・フランス(フランス歴史遺産)の監督の下、城の改築を行いました。

1980年

André Mentzelopoulosアンドレ・メンツェロプロスの死。

「メドックのギリシャ人」として警戒されていたワイン業界は、彼の死でさらなる懸念を抱きます。

この矛盾は、彼がChâteau Margauxシャトーマルゴーへの情熱と短い間に行ったワインの品質とワイナリーの評判を取り戻したことから生まれました。

娘のCorinne Mentzelopoulosコリーヌ・メンツェロプロスFélix Potinフェリックス・ポタンを運営するPrimistèresプリミステール社の管理者として、家族のグループを統合させました。

1982年

彼女は父の選んだチームと共に、投資プログラムを引き継ぎ、世界的にボルドーワインの大ブームを起こします。

まずはアメリカ人が格付けワインに熱狂し、イギリスやドイツ等歴史的な愛好家が跡に続きます。

そして日本、香港、シンガポール、ロシア、中国、インド、ブラジルと続きます。

 

Félix Potinフェリックス・ポタンが再構築され、店舗と不動産は売却、Exorエクソール社となり、ミネラルウォーターで有名なPerrierペリエ社の筆頭株主となりました。

1990年代

Corinne Mentzelopoulosコリーヌ・メンツェロプロスはグループを発展させるため、フィアット社社長であるGianni Agnelliジアニ・アグネッリAgnelliアグネッリ家を頼りました。

この関係はAgnelliアグネッリグループがChâteau Margauxシャトーマルゴーの株を手放すと決定する2003年まで10年と少し続きました。

2003年

Corinne Mentzelopoulosコリーヌ・メンツェロプロスAgnelliアグネッリグループの株を買い取り、独占株主となりました。

2015年

Norman Fosterノーマン・フォスターによって歴史的建築にモダンな建物が追加されました。

彼により設計された新しい建物は、ワイナリーの建築上の要望に応えながら、技術革新を行うことを可能にしました。

2015年夏

同年、Bruno Aveillanブルーノ・アヴェイヤン監督により、Colonillaコロニヤ侯爵とLouis Combesルイ・コンブの出会いを歴史的な写真で語り、200年後Norman Fosterノーマン・フォスターに委ねられた大きな仕事、既存の建物を尊重しながら設計された新しい醸造室について表現しました。

映画Prodigy of the Architect偉才の建築家」はChâteau Margauxシャトーマルゴー建設200年を記念して上映されました。

生産ワイン

  • Château Margauxシャトーマルゴー
  • Pavillon Rouge du Château Margauxパヴィヨン・ルージュ・ドゥ・シャトー・マルゴー
  • Margaux du Château Margauxマルゴー・ドゥ・シャトー・マルゴー
  • Pavillon Blanc du Château Margauxパヴィヨン・ブラン・ドゥ・シャトー・マルゴー

の4種類を生産しています。

上からファーストワイン、セカンドワイン、サードワイン、白ワインです。

敷地とブドウ畑

シャトー・マルゴーの敷地は265ヘクタール

内、85ヘクタールで赤ワイン用ブドウを、12ヘクタールで白ワイン用ブドウを植えています。

そして残りの敷地の半分をワイナリーの建物(レセプション・醸造・熟成など)で、残りがです。

森にはイノシシやウサギなど、いろんな動物が棲んでいるそうです。

赤ワイン用品種

ボルドーに植えてもいい品種のうち、4品種を植えています。

  • 75%カベルネ・ソーヴィニョン
  • 20%メルロ
  • 4%プティ・ヴェルド
  • 1%カベルネ・フラン

白ワイン用品種

こちらは植えてもいいものの内、ソーヴィニョン・ブランのみ植えています。

ワイナリーから4キロメートル先に白ブドウが植えられています。

まずは白ワイン

歴史部分でも触れていますが、新しく白ワイン用の醸造室がができたのが2015年。

ここで、醸造から熟成まで白ワイン製造のすべての行程を行っています。

全てステンレスタンクです。

収穫から醸造

収穫はもちろん、赤ワイン用品種より先に行われます。

収穫者80名と共に8月末から9月上旬に。

収穫したものは機械で選果をし、全房をプレスして、果汁をタンクの中へ。

アルコール発酵の途中でタンクから樽へワイン(果汁)を入れます。

白ワイン醸造については、白ワイン醸造まとめ。をご覧ください。

熟成

20~30%ほど新樽使用で、熟成期間が6~8か月

樽の大きさもボルドー樽(225リットル)にこだわりがあるわけでなく、色々なサイズのものを使っています。

そして赤ワイン

赤ワイン用の醸造室は2009年にリフォームされています。

タンクは30年~70年程使用している木のタンクで。

タンクのメンテナンスのために、醸造前の9月にタンク内に水を入れて、漏れがないかを確かめます。

木のタンクはメンテナンスが大変…。

収穫と選果

収穫者270名(多い…!)と9月中旬から10月上旬に収穫を行います。

収穫されたブドウは小さなかごに入れます。

大きなかごに入れると、上のブドウが下のブドウを潰してしまう可能性があるためです。

ブドウは醸造室の前まで運ばれます。

手で選果を2度行い、ブドウの実だけで醸造が行われます。

醸造

タンクは26基あり、区画ごとに醸造されます。

アルコール発酵中の攪拌作業はルモンタージュを。

エレガントで繊細なワインを求めて、1日に2回行います。

樽工房

シャトー・マルゴーはボルドーでは珍しい、ワイナリー内に樽工房を持つワイナリーです。

かれこれ2世紀もの間、樽工房をワイナリー内に持っています。

(昔は樽工房を持つワイナリーもかなり多かったそう)

樽工房を持つワイナリーについては、樽工房を持つワイナリーをご覧ください。

ここで働いている人は1人で、1つの樽を完成させるまで半日かかります。

1年で250樽、ワイナリーで使う樽の25%程が彼の手によって製造されています。

熟成

シャトー・マルゴーでは、ワイナリー内で製造している樽にプラスして、6社と取引があります。

  • シャトー・マルゴーは100%新樽使用
  • パヴィヨンは60%新樽使用
  • マルゴーは20~30%新樽使用

です。(年によって変動あり)

そして、熟成期間は…

  • シャトー・マルゴーは18~24か月
  • パヴィヨンは16~18か月
  • マルゴーは12~14か月

です。(こちらも年によって変動あり)

まとめ

ブドウ品種

75%カベルネ・ソーヴィニョン

20%メルロ

4%プティ・ヴェルド

1%カベルネ・フラン

タンク

木製タンク

(白ワインはステンレスタンク)

熟成期間

18~24か月

新樽使用率

100%

ワイナリー情報

Château Margaux(シャトー・マルゴー)

住所;33460 Margaux-Cantenac

電話;+33 5 57 88 83 83

参考記事

1855年メドック格付けまとめ

メドック格付けワイナリー、セカンドワインリスト

ワイナリーSNSまとめ、メドック編

ボルドー、五大シャトーの見学について。

ボルドー、メドック5大シャトーの凄いところまとめてみた。

メドック格付けワイナリー栽培品種比較 – 格付け毎

メドック格付けワイナリー栽培品種比較 – AOC毎

2009年ボルドー左岸格付け by Liv-ex

2018年野田祥子的メドック格付け

AOCメドックについて

フランス経済・財務省公開資料翻訳:ワインのエチケット

材質別タンクのメリット・デメリット

ボルドーでのステンレスタンク

ボルドー赤ワイン醸造

ボルドーの白ワインAOCまとめ

環境配慮から見るボルドーワイン

樽熟成について

ワイン、ウイスキーなどに必須、樽の作り方ご紹介

ボルドーで樽工房を持つワイナリー

ファーストワインとセカンドワイン…って何?

最後に

どんどん手が届かない値段になっているシャトー・マルゴー。

毎年、ワインに関する実験を行っているワイナリーでもあります。

ちなみにですが、新しく醸造室を造ったので、昔醸造室だったところがレセプション兼、展示室になっています。

見学は予約がないとできませんが、こちらは見学しなくても入れるので、興味がある方はどうぞ。


感想やこんな内容書いて欲しい!などあればお気軽に連絡ください。
sachiwines@gmail.com

その他色々やってるので、良かったら見てください☆ 
InstagramTwitter
レストランブログ
FacebookBordeaux-Japon.net ボルドージャポンネット 
Homepage・SachiWines 
旧ブログ・Bordeaux-Japon.net ボルドージャポンネット レストランブログ
広告

コメント

  1. […] Château Margaux […]

  2. […] (参考;五大シャトーの一つ、シャトー・マルゴー) […]

  3. […] 参考;五大シャトーの一つ、Château Margaux […]

error: 申し訳ないですが右クリック禁止にしました。データが欲しい方は直接連絡ください。
タイトルとURLをコピーしました