今回はChâteau Haut-Brion(シャトー・オーブリオン)について書いていこうと思います。
ここはグラーヴ地方にワイナリーを持つにも関わず、メドックの格付け1級に選ばれているワイナリーとしても有名ですよね。
歴史
1世紀 |
Haut-Brion(オー・ブリオン)の土地の歴史が始まります。 これはローマ時代の硬貨からも証明されており、またChâteau Haut-Brion(シャトー・オー・ブリオン)の砂利土壌からEmpereur Claude(クロード皇帝)の肖像画が出てきたことよりも証明できます。 |
1521年 1526年 |
この2つの年で出されているジロンド県の文書によると、土壌が「Aubrion」または「Haulbrion」と名付けられ、一つのクリュとして認められました。 |
1525年 |
Jeanne de Bellon(ジャンヌ・ド・ベロン)と結婚した後、Jean de Pontac(ジャン・ド・ポンタック)はバスクの商人Jean Duhalde(ジャン・デュアルド)からHaut-Brion(オー・ブリオン)の権利を獲得します。 彼女が持参金代わりに土地を持ってきたのです。 |
1549年 |
Jean de Pontac(ジャン・ド・ポンタック)によって現在の城が建てられました。 彼はブドウを植えるための砂利の丘の麓に城を建てました。 |
1589年4月5日 |
Jean de Pontac(ジャン・ド・ポンタック)の死。 当時としては珍しく101歳と長寿でした。 彼が亡くなった時、今現在所有している畑の半分以上を既に所有していました。 |
Jean de Pontac(ジャン・ド・ポンタック)の死後、4番目の息子であるArnaud II de Pontac(アルノー・2世・ド・ポンタック)が相続します。 |
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1605年 |
甥のGeoffroy(グレフォイ)が相続します。 |
次の相続人、Geoffroy(グレフォイ)の息子、Arnaud III de Pontac(アルノー・3世・ド・ポンタック)がワイナリーの名声を確固なものとします。 彼はボルドー議会の議長となり、ボルドーで最も影響力のある政治家になりました。 さらに、彼はブドウ畑の拡張も行い、畑の大きさを2倍にします。 政治家としての影響力もあり、特にイギリスでHaut-Brion(オー・ブリオン)のワインが有名になります。 |
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1660年 |
チャールズ2世がイギリス王位継承し、初めてHaut-Brion(オー・ブリオン)のワインを食事で提供しました。 |
Arnaud III de Pontac(アルノー・3世・ド・ポンタック)は、Haut-Brion(オー・ブリオン)の歴史だけでなく、ボルドーワインの歴史にもその名を刻みました。 というのも、現在のグランクリュの赤ワインの前身となるスタイルを確立したからです。 イギリスでは現在の長熟ワインのことを「New French Claret」と呼ばれ始めました。 |
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1666年 |
Arnaud III de Pontac(アルノー・3世・ド・ポンタック)は息子のFrançois-Auguste(フランソワ・オーガスト)とフランス人指導者をイギリスに派遣しました。 |
1749年 |
Joseph de Fumel(ジョゼフ・ド・フュメル)が父からChâteau Haut-Brion(シャトー・オー・ブリオン)を受け継ぎます。 彼はフレンチスタイルの庭と、現存する庭園を設計しました。 |
1787年5月25日 |
Château Haut-Brion(シャトー・オー・ブリオン)に未来のアメリカ大統領、Thomas Jefferson(トーマス・ジェファーソン)の訪問を初めてうけいれました。 |
40年間、ワイナリーは様々な人の手を渡ります。 |
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1801年 |
ベネヴェントの王子であるCharles-Maurice de Talleyrand-Périgord(シャルル・モーリス・ド・タリラン・ペリゴール)がワイナリーを買収します。 彼は将来のナポレオン1世の外交大臣となり、Château Haut-Brion(シャトー・オー・ブリオン)のワインをフランスの政治界に紹介します。 |
1804年 |
Charles-Maurice de Talleyrand-Périgord(シャルル・モーリス・ド・タリラン・ペリゴール)は数年の後、ワイナリーを売却します。 |
1836年 |
Larrieu(ラリュー)家がワイナリーを買収します。 |
1859年 |
父の死後、Amédée Larrieu(アメデ・ラリュー)氏が相続。 政治とワイナリー経営を行っていた彼は、うどんこ病の被害の対策として、ブドウ畑の植え替えも行いました。 また、醸造施設の近代化も行います。 |
1873年 |
Amédée Larrieu(アメデ・ラリュー)氏の死。 それにより、息子のEugène(エウジェヌ)が相続しました。 彼は父と同じ様に弁護士でもありました。 |
1880年以降 |
フィロキセラの被害を受ける。 |
1896年 |
3世代に渡った経営の後、Larrieu(ラリュー)家がワイナリーを売却します。 |
1923年 |
ワイナリーでの瓶詰を行います。 Château Haut-Brion(シャトー・オー・ブリオン)は初めてワイナリー内での瓶詰を行った場所の一つです。 |
1925年1月 |
André Gibert(アンドレ・ジルベール)がChâteau Haut-Brion(シャトー・オー・ブリオン)を買収。 |
1924年 |
ニューヨークのバンカーであるClarence Dillon(クラレンス・ディロン)がChâteau Haut-Brion(シャトー・オー・ブリオン)を訪問します。 |
1935年5月13日 |
André Gibert(アンドレ・ジルベール)は10年間ワイナリーを所有しましたが、相続者がいなかったために売却します。 Clarence Dillon(クラレンス・ディロン)がChâteau Haut-Brion(シャトー・オー・ブリオン)を買収しました。 |
Clarence Dillon(クラレンス・ディロン)の買収後、甥のSeymour Weller(セイムール・ウェレー)と共にワイナリーの近代化を図ります。 配管工事や電気工事、お庭の手入れ、そして醸造施設の近代化です。 |
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1939年9月 |
第二次世界大戦がはじまり、Clarence Dillon(クラレンス・ディロン)は、けがをした将校たちを受け入れるために、Château Haut-Brion(シャトー・オー・ブリオン)を病院化します。 この期間の間、彼は非公式ながらアメリカとイギリス政府の間の連絡係として働いていました。 |
1961年 |
鋼のタンクを導入するなど、醸造施設の近代化が行われました。 |
1975年 |
Clarence Dillon(クラレンス・ディロン)の孫娘であるJoan Dillon(ジョアン・ディロン)はお城の修復や、美しい庭を造ります。 |
1979年 |
Joan Dillon(ジョアン・ディロン)の夫であるDuc de Mouchy(デュック・ド・マウシー)がワイナリーで働き始めます。 |
1983年 |
Château La Mission Haut-Brion(シャトー・ラ・ミッション・オー・ブリオン)を買収。 以降、2つのワイナリーは同じチームによって生産されています。 |
1991年 |
最新技術が使われたタンクを導入します。 |
2012年 |
4世代目であるルクセンブルグのRobert(ロバート)王子によってChâteau Haut-Brion(シャトー・オー・ブリオン)のお城も美しく修復されました。 |
畑について
シャトー・オーブリオンは50ha強の畑を持っています。
そのうち赤ワインの生産が48ha、白ワインの生産が2.5haで行われています。
ブドウ品種
赤ワインについては以下の四種類が使われています。
プティ・ヴェルドについては本当に少量だそうで、使ったとしてもシャトー・オーブリオンのファーストワインのみです。
- 45%メルロ
- 45%カベルネ・ソーヴィニョン
- 10%カベルネフラン
- 少量のプティ・ヴェルド
白ワインは以下の2種類が植えられています。
もちろんペサックレオニャンは白ワインの生産も認められているので、アペラシオン・ペサックレオニャンとして販売されています。
- 55~60%セミヨン
- 40~45%ソーヴィニョン・ブラン
畑の特徴
行った方はご存知かと思いますが、こんなところにあるの?!と驚く場所にシャトー・オーブリオンは建っています。
ボルドーの市バスが走っていますし、住宅街の真ん中にあります。
バスで行くなら4番線がおすすめ。
それゆえ、他のワイナリーより気温が2、3度高いのがここ、シャトー・オーブリオンの特徴。
そのおかげで霜等の被害にも遭いにくいですし、収穫もかなり早く行われます。
毎年、最初に収穫が行われるのがシャトー・オー・ブリオンだったりします。
収穫
収穫はもちろん手摘みで、150人~200人程の季節労働者がやってきます。
そしてその後、選果が行われます。
選果台で1回、レーザーを使った選果機で1回。
レーザーを使った選果機は除梗した後に行われます。
(つまり、房の状態のときは人が選果、実だけの状態で機械選果が行われます)
醸造について
昔々は木のタンクで醸造を行っていましたが、オーブリオンではかなり早くからステンレスタンクを導入しています。
一番最初は1961年。
そしてその後1989年に、特注で造ったステンレスタンクの登場です。
写真を見て貰えるとわかると思いますが、ステンレスタンクは2層になっています。
上部はアルコール発酵専用。
下部はマロラクティック発酵専用です。
アルコール発酵
大体ですが2~3週間、18~20度で行われます。
その間行われるのはルモンタージュ。
ここ、シャトー・オーブリオンではルモンタージュは機械化されています。
パソコンに入力すれば、好きな時間間隔や時間にルモンタージュができるので、夜中に起きだしてくる必要がなくなりました。
基本的には6時間に1回行っているようです。
その後、醸しの期間に入ります。
大体7日程度で、この間のルモンタージュは1日1回。
マロラクティック発酵
上部でアルコール発酵を終えたワインのみ、下部に入れられます。
そしてマロラクティック発酵が行われます。
マロラクティック発酵時には果帽が除かれるので、下の方が少しだけ小さいタンクです。
プレスワイン
下部にワインが入れられますが、果帽は上部に残ったまま。
その果帽は圧搾機に入れられて、プレスワインが造られます。
このプレスワイン、最終的に5%くらいワインに含まれます。
ブレンド
ここまでは区画ごと、品種ごとに醸造が行われていますが、
醸造が終わるとブレンドされます。
醸造→ブレンド→熟成という流れです。
熟成
他のワイナリーと同じ様に、ボルドーの伝統的な熟成を行っています。
ウイヤージュや澱引き、そして卵の白身を使った清澄作業です。
熟成期間
赤のファーストワインは18~22か月熟成、75%新樽使用
赤のセカンドワインは同じ熟成期間で、30%新樽使用
白ワインは7~9か月熟成、50%新樽使用です!
樽について
シャトー・オーブリオンはワイナリー内に樽工房を持っているワイナリーの一つ。
使われている樽の80%はワイナリーで造られており、
残りの20%は買ってきた樽です。
ちなみに、自社樽はSeguin Moreau(セガン・モロー)社のもので、残り20%はTaransaud(タランソー)社のものです。
以前、ボルドーで樽工房をもつワイナリーをご紹介したので、もしよろしければ樽工房を持つワイナリーをご覧ください。
見学
オーブリオンは一般の方でも見学できるワイナリーです。
ただ、とても人気なので、かなり前に連絡をしないと予約が取れません…。
運が良ければ樽工房の見学もさせてくれます。
まとめ
ブドウ品種 |
赤ワイン45%メルロ 45%カベルネ・ソーヴィニョン 10%カベルネフラン 少量のプティ・ヴェルド 白ワイン55~60%セミヨン 40~45%ソーヴィニョン・ブラン |
タンク |
ステンレスタンク |
マロラクティック発酵 |
タンク内 |
熟成期間 |
18~22か月 |
新樽使用率 |
75% |
ワイナリー情報
住所;135 Avenue Jean Jaurès, 33608 Pessac
電話;+33 5 56 00 29 30
参考記事
最後に
歴史部分含め、色々手直しさせてもらいました。
見学予約が取りにくいと言っても、数か月前に連絡すれば取れましたが…
去年から一般の方(ワイン関係の仕事をしていない方)の見学受け入れ時間がぐっと短くなりました。
訪問したい方は早めに是非どうぞ!
感想やこんな内容書いて欲しい!などあればお気軽に連絡ください。 sachiwines@gmail.com その他色々やってるので、良かったら見てください☆ Instagram・sachiko0418 レストランブログ Facebook・Bordeaux-Japon.net ボルドージャポンネット Homepage・SachiWines 旧ブログ・Bordeaux-Japon.net ボルドージャポンネット レストランブログ
コメント
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[…] その辺り、詳しくは5大シャトーの一つ、Château Haut-Brionで説明しているので、よろしければご覧ください。 […]
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