カトリックと強い繋がりを持つワイナリー、Château la Mission Haut-Brion

左岸

グラーヴ地方にあり、Château Haut-Brion(シャトー・オーブリオン)と同じオーナーのChâteau La Mission Haut-Brion(シャトー・ラ・ミッション・オーブリオン)についてお届けします。

オーブリオンについては、5大シャトーの一つ、Château Haut-Brionをご覧ください。

また、同オーナーがサンテミリオンにもワイナリーを所有しています。

そちらについてはシャトー・オーブリオンと同じオーナーのワイナリー、Château Quintusをご覧いただけると嬉しいです。

 

 

歴史

今回の歴史は宗教も絡んでいるし、結構長いです。

この年表つくるの大変やったー!

ということで、私のためにも読んでください。笑

1540年

Château La Mission Haut-Brion(シャトー・ラ・ミッション・オーブリオン)とChâteau Haut-Brion(シャトー・オーブリオン)はこの時から関連づいています。

というのも、ボルドーのネゴシアンであるArnaud de Lestonnac(アルノー・ド・レストナック)がChâteau La Mission Haut-Brion(シャトー・ラ・ミッション・オー・ブリオン)の起源となるArregedhuys(アレゲドウイス)と呼ばれる区画を購入したからです。

彼はChâteau Haut-Brion(シャトー・オー・ブリオン)のオーナーであるJean de Pontac(ジャン・ド・ポンタック)の娘であるMarie(マリー)と結婚しました。

さらに、彼はこのワイナリーの並外れたポテンシャルを感じ、畑を植え、区画を決めるなど、ブドウ生産に特化した敷地づくりを行います。

1548年

Arnaud de Lestonnac(アルノー・ド・レストナック)の死。

彼の4番目の息子であるPierre(ピエール)が後を継ぎます。

1572年

Pierre de Lestonnac(ピエール・ド・レストナック)がボルドーの市参事会員になり、建物や醸造セラーの建設を始める。

娘のOlive(オリーヴ)の誕生。

 

Olive de Lestonnac(オーリーヴ・ド・レストナック)は大人になり、彼女は自分の人生を慈善活動と宗教活動に捧げます。

3度結婚し、3度未亡人になり、そして子供がいませんでした。

彼女の生活は慈善事業をすることで生活をしていました。

彼女の慈善活動と宗教活動は伯母であるSainte Jeanne de Lestonnac(サンジャン・ド・レストナック)から受け継がれたもので、叔母は1607年にボルドーの聖マリア修道女会を創設しました。

Sainte Jeanne de Lestonnac(サンジャン・ド・レストナック)は人道哲学者であるMichel de Montaigne(ミシェル・ド・モンテーニュ)の姪でもあります。

1652年

Olive de Lestonnac(オーリーヴ・ド・レストナック)の死。

彼女は宗教的目的で200,000ポンドもの寄付を行っていました。

この収入がLa Mission Haut-Brion(ラ・ミッション・オー・ブリオン)の誕生につながり、その後カトリック教会の所有となりました。

1682年

Olive de Lestonnac(オーリーヴ・ド・レストナック)の功績により、ボルドーのラザリスト会(カトリック)はPrêtres de la Mission(プレットレ・ド・ラ・ミッション/ラ・ミッションの司祭)という名でも知られていました。

1698年

ラザリスト司祭はNotre-Dame de la Mission(ノートルダム・ド・ラ・ミッション)として知られるNotre–Dame d’Aubrion(ノートルダム・ドーブリオン)のチャペルを建設する。

18世紀

ラザリスト司祭はLa Mission(ラ・ミッション)のブドウ畑にさらなる価値を与えるため、雑木林をブドウ畑にするなど区画を拡張します。

ブドウ畑の栽培方法を改善し、ワインの品質の向上と評判をあげるために努めます。

1729年2月13日

ラ・ミッションの修道会では8人の司祭、4人の兄弟、5人の使用人がいた。

同時期に、21.6ヘクトリットルに相当するワイン24樽を製造していた。

1755年

Richelieu(リシュリュー)公爵、Louis Armand de Vignerot du Plessis(ルイ・アルマン・ド・ヴィニュロン・デュ・プレッシ)元帥がギュイエンヌ知事に任命される。

これまで、彼はほかの貴族同様ブルゴーニュワインを好んで飲んでいたが、この任命により、当時「イングランド」ワインとして知られていたボルドーワインを知ることとなる。

ある日、彼が特に注目するワインを尋ねられた時「La Mission Haut–Brion(ラ・ミッション・オー・ブリオン)」と答え、それ以降La Mission Haut–Brion(ラ・ミッション・オー・ブリオン)のワインは市長の食事会に提供されるようになりました。

1790年代初頭

フランス革命がボルドーを襲撃する。

1792年

ワイナリーが没収される。

その後、「国有財産」としてオークションにかけられ、ボルドーの実業家であるMartial-Victor Vaillant(マルティアル・ヴィクトール・ヴァイラント)が購入する。

建物、25ヘクタールの畑などは100,000リーヴルと推定されていましたが、Martial-Victor Vaillant(マルティアル・ヴィクトール・ヴァイラント)は302,000リーヴルで購入しました。

1821年

Martial-Victor Vaillant(マルティアル・ヴィクトール・ヴァイラント)の娘が、Célestin Coudrin–Chiapella(セレスティン・コウドラン・チアペラ)に売却した。

Célestin Coudrin–Chiapella(セレスティン・コウドラン・チアペラ)は1774年にルイジアナ州ニューオリンズで裕福な生まれ、ワイナリーの最初のアメリカ人所有者となりました。

彼は既にChâteau Cos d’Estournel(シャトー・コス・デストゥーネル)などいくつかのワイナリーの管理や、ネゴシアンとして働いており、ボルドーで定年を迎えるためにこのワイナリーを取得しました。

(コスデストゥーネルについてはこちらをご覧ください。)

彼と息子のJérôme(ジェローム)はワイナリーに装飾し続けました。

ブドウ畑を囲ったり、ラザリストの文献に見つけられるデザインに従って鉄製の見事な門を立て、これは今現在もワイナリーの入り口となっています。

また、フランスとアメリカとの特権的なつながりを造るため、Chiapella(チアペラ)はモデル船を建てました。

オリジナル船は宗教団体の集会にちなんで名づけられ、ミニチュア船は古い世界と新しい世界のつながりを示すために風見船として屋根の上に飾られています。

ルイジアナ州との繋がりがあったおかげで、Célestin Coudrin–Chiapella(セレスティン・コウドラン・チアペラ)はボルドーとニューオリンズとの貿易を発展させながら、ブドウ畑やワインの品質向上に努めた。

1862年

ロンドンの万博博覧会で金賞受賞。

1884年

Jérôme Chiapella(ジェローム・チアペラ)はワイナリーをパリのÉtablissements Duvalに譲渡しました。

この時、Château La Mission Haut-Brion(シャトー・ラ・ミッション・オーブリオン)はフランスのみならず、イギリスやアメリカで名声を得ていました。

1919年

ボルドーのネゴシアンである。Frédéric Otto Woltner(フレデリック・オット・ウォルトナー)によって買収される。

Château La Mission Haut-Brion(シャトー・ラ・ミッション・オーブリオン)は過去25年間、所有者の変更がたくさんあったにもかかわらず、名声を保ったままでした。

この時代でも、Château La Mission Haut-Brion(シャトー・ラ・ミッション・オーブリオン)は他の多くのワイナリーと同様に19世紀の古い慣習に従って運営されていました。

1926年

Frédéric Otto Woltner(フレデリック・オット・ウォルトナー)と2人の息子は、Château La Mission Haut-Brion(シャトー・ラ・ミッション・オーブリオン)の新世代へと向かわせます。

初めてエナメルがけの鋼鉄タンクを導入し、この新技術により発酵中のより良いい温度管理ができるようになりました。

また、ワイナリーの内部と外部併せて装飾を大幅に変更しました。

Chiapella(チアペラ)が設置した門に似たスタイルで、スペイン・トレドで製造された鋼鉄製のアーケードを購入し、白の正面に沿って配置しました。

ワイナリー内部は、オリジナルの宗教的な品物や像に敬意を表して、新しい装飾を施しました。

Woltner(ウォルトナー)は色々な大きさ、形の聖水盤を収集し、シャトーと礼拝堂の壁を飾りました。

さらに、Frédéric Otto Woltner(フレデリック・オット・ウォルトナー)は礼拝堂にChâteau La Mission Haut-Brion(シャトー・ラ・ミッション・オーブリオン)の最も偉大なビンテージを金文字で描き始めました。

(余談ですが、後1ビンテージしか書けないです…笑

埋まったらどうするのか気になるところ)

1927年

Château La Mission Haut-Brion Blanc(シャトー・ラ・ミッション・オーブリオン・ブラン)の提供を始めます。

長い間Château Laville Haut-Brion(シャトー・ラヴィル・オーブリオン)と呼ばれていたこの白ワインは、2009年よりFrédéric Otto Woltner(フレデリック・オット・ウォルトナー)の名付けた最初の名前に戻りました。

1933年

Frédéric Otto Woltner(フレデリック・オット・ウォルトナー)の死。

彼の3人の子供が財産を引き継ぎます。

長い間父と共に働き、ワイン醸造学を勉強していたので、Château La Mission Haut-Brion(シャトー・ラ・ミッション・オーブリオン)を経営したのはHenri(アンリ)でした。

第二次世界大戦

Woltner(ウォルトナー)家はドイツ人将校を受け入れることを余儀なくされました。

家族の尊厳と保護により、居住者は礼儀正しく行動すし、カーヴの強奪を回避しました。

1945年

今世紀で最も素晴らしいビンテージの一つが生産された。

1974年10月

Château La Mission Haut-Brion(シャトー・ラ・ミッション・オーブリオン)で50年も時を過ごしてきたHenri Woltner(アンリ・ウォルトナー)の死。

その後、数年間何人かいる姪の夫であるFrancis Dewavrin(フランシス・デワヴリン)がワイナリーを管理します。

 

Château La Mission Haut-Brion(シャトー・ラ・ミッション・オーブリオン)が売りに出されたとき、Domaine Clarence Dillon(ドメーヌ・クラレンス・ディロン)は最初に手を挙げました。

1983年11月2日

Domaine Clarence Dillon(ドメーヌ・クラレンス・ディロン)の申し出が受け入れられ、売却が行われます。

ラザリスト会の忠誠にインスパイアされ、Dillon(ディロン)家はすぐにワイナリー全体を改修し、La Mission Haut-Brion(ラ・ミッション・オーブリオン)は新たな時代を迎えます。

改修はブドウ畑から始まり、その後モダンな醸造施設を建設、さらにお城や礼拝堂、地下カーヴまで行われました。

1987年

新しい醸造施設でワイン造りが始まる。

1996年

新しい瓶詰ライン、ラザリスト会に敬意を表したSalle du Chapitre(サル・デュ・チャピトル/修士会の部屋)と呼ばれるテイスティングルームの設置。

ワイナリーの修復と近代化に加えて、敷地を縦横に走る道路や小道が広くなり、一部は舗装されました。

さらに、フランス流の庭園が簡素化されてより魅力的になり、スペインから輸入されたアーケードと19世紀の門は細心の注意を払って復元されました。

この門は歴史的建築物の補足目録に記されるほど歴史的関心に値するものです。

2000年

ワイナリーの全ての部屋がMouchy(ムーシー)公爵夫人によって改装される。

2007年

新たな醸造施設が造られました。

イタリアの素晴らしい家具職人が彫刻した木を使ったテイスティングルームは現在、Albrecht Dürer(アルブレヒト・デューラー)のオリジナル彫刻で飾られています。

この改修工事はラザリスト会に敬意を表しており、18世紀にボルドーの美しい建築物を建てるのに使われたFrontenac(フロンテナック)採掘場からとれた石を使い、「ワインのための現代的な大聖堂」を造りました。

最後に、大きな醸造施設に入る前に見学者を歓迎する回廊が建てられました。

2009年

新しいテイスティングルーム、醸造施設、回廊、庭園のお披露目。

これらは、ルクセンブルグのRobert(ロバート)王子によって描かれた構想に着想を得ています。

生産ワイン

赤ワインは

  • Château La Mission Haut-Brion(シャトー・ラ・ミッション・オー・ブリオン)
  • La Chapelle de La Mission Haut-Brion(ラ・チャペル・ド・ラ・ミッション・オー・ブリオン)

の2種類。

白ワインは

  • Château La Mission Haut-Brion(シャトー・ラ・ミッション・オー・ブリオン)
  • La Clarté de Haut-Brion(ラ・クラルテ・ド・オー・ブリオン)

の2種類です。

赤ワイン用ブドウ

25ヘクタール所有しています。

シャトー・オーブリオンの半分程度です。

ブドウ品種は

  • 45%カベルネ・ソーヴィニョン
  • 45%メルロ
  • 10%カベルネ・フラン

白ワイン用ブドウ

3.5ヘクタール所有なので、シャトー・オーブリオンより1ヘクタール大きいです。

ブドウ品種はセミヨンとソーヴィニョン・ブランの2種類。

熟成

教会のような熟成セラーで、とてもとても美しい!

個人的にですが、シャトー・オーブリオンより好きだったりします。

常に12度で、湿度が70~80%に管理されています。

熟成期間と新樽使用

なぜか赤ワイン、しかメモがない…。

ファーストワインが70~80%新樽使用の、18か月熟成です。

セカンドワインが20~35%新樽使用。

まとめ

ブドウ品種

赤ワイン用

45%カベルネ・ソーヴィニョン

45%メルロ

10%カベルネ・フラン

白ワイン用

セミヨン

ソーヴィニョン・ブラン

タンク

ステンレスタンク

熟成期間

18か月

新樽使用率

70~80%

 

ワイナリー情報

Château La Mission Haut-Brion(シャトー・ラ・ミッション・オーブリオン)

住所;67 Rue de Peybouquey, 33400 Talence

電話;+33 5 56 00 29 30

 

参考記事

5大シャトーの一つ、Château Haut-Brion

シャトー・オーブリオンと同じオーナーのワイナリー、Château Quintus

ワイナリーSNSまとめ、グラーヴ編

グラーヴ、ソーテルヌ・バルサックの格付けまとめ

ワイン醸造:アルコール発酵について。

ボルドーワイン=ブレンドワイン

最近のボルドーワインについて

ボルドーでのステンレスタンク

 

見学

ホームページから問い合わせができます。

以前ボルドー、五大シャトーの見学について。でもお届けしたオーブリオンの見学。

同じくラミッションオーブリオンも結構淡泊な見学です。

1時間以内に終わることもしばしば。

ただ、とてつもなく美しいので一見の価値あり!

1日で受け入れている見学者数もかなり制限されているので、早めのお問い合わせをお勧めします。

(写真はプリムールにお邪魔した時のもので、通常見学とは異なります)

最後に

結構ボリューミーな歴史と共にお届けしましたが、いかがでしたでしょうか。

個々の見学は醸造施設は見せてくれませんが、オーブリオンと同じものを使用しているそうです。

5大シャトーの一つ、Château Haut-Brionで醸造についても書いているので、もしよろしければご覧ください。

 


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