書いていなかったシリーズChâteau Carbonnieuxのご紹介です。
赤ワインと白ワインを生産しており、その品質の高さから日本でも人気のワイナリーですよね。
クラシックカーがよく飾られているイメージ。
ボルドーからも近いし、どなたでも見学できるワイナリーの一つです!
目次
歴史
13世紀初頭 | Carbonnieuxの名前の起源は13世紀初頭にレオニャンで土地を開拓していたCarbonius家またはCarbonnieux家に由来すると言われています。 |
1234年 | ボルドーの公文書にはレオニャンにブドウ畑を所有していたRamon Carbonnieuという名が残されています。 |
1292年4月2日 | ボルドーの修道院であるSaint-Croix修道院の2人の修道院の間で交わされた交換証書によってワイナリーの起源が中世にあると確認されています。 |
1152年 | Henri IIとAlienor D’Aquitaineが結婚し、ボルドーは英国領地となりました。 |
以降、貿易が盛んになり、ワインの売り上げも上がり、百年戦争(1337年~1453年)までボルドーは繁栄しました。 | |
食糧難や不作、疫病など長い混乱期を経て、ベネディクト会はCarbonnieuxのブドウ畑を放棄せざるを得なくなります。 | |
1519年 |
Saint Croixのベネディクト会からJean de Ferronに土地が売却されました。 Jean de Ferronはボルドーのブルジョワ出身で、既にブドウ畑を所有していました。 この頃貴族になったばかりだったので、自身の地位を高めるためにグラーヴに大きなブドウ畑を所有することを余儀なくされた上でした。 彼は買収と再編成を繰り返して、2世紀半の間彼の後継者がワイナリーを維持し続けました。 |
昔は城塞に囲まれたFerron家でしたが、壮大な中庭とペリゴール風の高い塔を持つ建材の姿になり、素晴らしいブドウ畑を持つ大邸宅となりました。 | |
1740年 | Seigneurs de Carbonnieux(カルボニューの領主)と呼ばれていたFerron家は負債を抱えてしまったために、Carbonnieuxの土地をSainte-Croix修道院の修道士たちに売却することになりました。 |
ワイナリーはベネディクト会にとって大きなビジネスとなり、グラーヴの白ワインの最高峰に押し上げるために多額の借金をためらいませんでした。 | |
Dom Galléas(ガレアス師)はいち早くブドウ品種のブレンドや、瓶詰めを行い、ワインの配送を容易にしました。 また、消費されるまで数年間保存できるようにもしたのです。 彼のワイン造りは、最も近代的なものの一つでした。 |
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1776年 |
Guyenneの格付けの際、「Aux Bénédictins de Carbonnieux(ベネディクト会のカルボニュー)」の白ワインが高く評価されました。 当時、赤ワインはpremier cru de Pontac(現Haut-Brion)が基準となっていましたが、白ワインの代表はCarbonnieuxでした。 |
Saint-Croix修道院のベネディクト修道士たちの才能と半世紀にもわたる活躍により、ワイナリーは大きく発展しました。 ホタテ貝をあしらったボトルはコンスタンティノーブル(現イスタンブール)からアメリカまで世界中に知られるようになりました。 |
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18世紀 |
ボルドー港が栄えていた頃、修道士たちは澄んでおり、あまり色のついていないカルボニューの白ワインを「Eau minérale de Carbonnieux(カルボニューのミネラルウォーター)」としてオスマン帝国のスルタンの宮殿に持ち込むことに成功しました。 彼は海賊にとらえられたボルドーの少女がお気に入りで、ハーレムの王子に差し出したために策略は簡単なものでした。 「フランスにはこんなに美味しいミネラルウォーターがあるのに、どうしてワインを造るのか」と言ったという伝説が残っています。 |
1787年 |
後にアメリカ大統領となるThomas Jeffersonは美食家でワインをこよなく愛していました。 フランスのブドウ畑を見るためにフランス中を巡りました。 ボルドーでは有名ないくつかの生産者を選び、彼の旅行記には「Odalisque(ハレムの女)のワイン」を味わうためにCarbonnieuxを実際に訪れたことが記されています。 また訪問を記念してアメリカクルミの樹を敷地内に植えさせ、現在も残っています。 |
1789年 | フランス革命の際、国家は聖職者の財産を没収しました。 |
1791年1月 | 激しい競売の末、Carbonnieuxは国家財産としてElie de Bouchereauに見積より17リーヴル高い36万6000リーヴルで売却されました。 |
西インド諸島の主島群であるアンティル諸島から戻ってきたBouchereau家はChâteau de Carbonnieuxに居を構え、87年間住みました。 | |
137ヘクタールの土地に、Bouchereau兄弟のブドウ研究により慎重に選ばれたボルドーの重要品種が植えられていました。 | |
1828~1871年 |
Henry-Xavier BouchereauはCarbonnieuxでフランスとヨーロッパのブドウ品種のコレクションを築き上げました。 その数なんと1242種にものぼりました。 |
1871年 | フィロキセラの襲来。 |
1878年 | 他の多くの生産者と同様、フィロキセラ危機によってBouchereau家もワイナリーを手放さざるを得なくなりました。 |
20世紀初頭~1956年 | Perrin家がワイナリーを引き継ぐまで、所有者の変更が繰り返されました。 |
2度の世界大戦を経て、ボルドーワイン産業は低迷していました。 | |
1956年 |
冬にひどい霜に見舞われます。 この年にワイナリーを引き継いだMarc Perrinはワイナリーとブドウ畑の修復に取り組みます。 |
息子Antony Perrinの助けを借り、大規模な植え替えを行います。 | |
Marc Perrin(マルク・ペラン)の死後、息子のAntony Perrinがワイナリーを引き継ぎます。 彼はワイナリーとブドウ畑の修復を続け、Carbonnieuxとボルドーワインの世界的な名声のために投資を続けました。 |
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1990年 | 新しいワイン醸造法に対応するために、新しい醸造施設を建設します。 |
1970年 | ブドウ畑は45ヘクタールに増えました。 |
1980年 | ブドウ畑は70ヘクタールに増えました。 |
1987年 |
AOC Pessac-Léognan誕生。 Antony Perrinはアペラシオン誕生の推進者の一人です。 |
1990年 | 新しいワイン醸造法に対応するために、新しい醸造施設を建設します。 |
Antony Perrinはグラーヴ格付けの会長を務めます。 | |
1991~1994年 | Antony PerrinがUnion des Grand Cru de Bordeaux(ボルドー格付け組合)の会長を務めます。 |
現在 | ブドウ畑は95ヘクタールまで拡大しました。 |
Antony Perrinは子供たちEric Perrin、Christine Perrin、Philibert Perrinに家族の伝統とノウハウを受け継ぎました。 | |
2012~2015年 | Eric Perrinは父の跡を継ぎ、グラーヴ格付けの会長を務めます。 |
2017年 | Philibert Perrinもアペラシオン・ペサック=レオニャンの総裁を務めます。 |
2019年 |
さらにEric Perrinの子供たちがチームに参加しています。 Marc Perrinが営業部門、Andréa Perrinは醸造家兼セラーマスターをつとめます。 |
生産ワイン
- Château Carbonnieux赤/白
- La Croix de Carbonnieux赤/白
- Château Tour Léognan赤/白
を生産しています。
Château Carbonnieuxがファーストワイン、La Croix de Carbonnieuxがセカンドワインです。
Château Tour Léognanはその中でも若木(12年前後まで)の樹からとれたブドウのみを使っています。
というのも、Château Carbonnieuxでは毎年1~2ヘクタールの畑を植え替えているので、常に若木が存在するのです。
後に赤ワインと白ワインに分けて説明しています。
土壌
ペサック=レオニャンの高台に位置しています。
Château Carbonnieuxのテロワールは土壌の多様性が特徴的です。
土壌の調査をし、地質調査をした結果にその多様性がよりよく分かりました。
粘土と砂利、グラーヴ(石/深さや量は場所によって様々)、粘土石灰、粘土の脈、石灰の脈など様々含まれます。
Château Carbonnieuxでは各区画に独自の名前が付けられ、それぞれの特徴に合わせて管理されています。
この土壌の多様性により、複雑性を持つワインを生産することが出来、グラーヴの格付けで赤ワイン、白ワイン共に選ばれました。
ブドウ畑
170ヘクタールの敷地を持ち、その内92ヘクタールの大きな1ブロックが城の周りに広がっています。
92ヘクタールは119の区画に分けられています。
先にも書きましたが、多様な土壌を持つために、それぞれの区画に合った品種が栽培されています。
ワインを赤白生産しているので、それぞれ別にお届けします。
赤ワイン
品種
50ヘクタールに赤ワイン用品種が栽培されています。
- 60%カベルネ・ソーヴィニョン
- 30%メルロー
- 7%カベルネ・フラン
- 3%プティ・ヴェルド
が栽培されています。
カベルネ・ソーヴィニョンは砂利土壌に、メルローは細かい砂利と粘土土壌に、他2品種は細かい砂利に覆われた粘土石灰土壌に植えられています。
Château Carbonnieux赤
ファーストの赤ワインです。
年によって多少前後しますが、
- 50%カベルネ・ソーヴィニョン
- 40%メルロ
- 5%カベルネ・フラン
- 5%プティ・ヴェルド
がブレンドされています。
16~18か月熟成されており、新樽使用は35%程度。
メドックのワインと比べると新樽使用が少なく感じるね。
La Croix de Carbonnieux赤
カベルネ・ソーヴィニョンとメルローのブレンドワイン。
12か月樽で熟成されています。
ファーストワインより気楽に飲める、分かりやすいワイン。
飲み頃は生産から5年後がおすすめだそう。
Château Tour Léognan赤
若木から採れたブドウを使っています。
カベルネ・ソーヴィニョンとメルローのブレンドで、12か月熟成。
白ワイン
品種
42ヘクタールに白ワイン用品種が栽培されています。
- 65%ソーヴィニョン・ブラン
- 35%セミヨン
の2品種が栽培されています。
ソーヴィニョン・ブランは深くまで砂利が広がる土壌に栽培されているか、細かい砂利を含む、粘土石灰土壌にも栽培されています。
セミヨンは粘土石灰土壌に主に栽培されています。
Château Carbonnieux白
こちらも年によって多少の変動はありますが、
- 65%ソーヴィニョン
- 35%セミヨン
が使われています。
熟成は10か月間、樽と大樽で行われ、新樽使用は25%
La Croix de Carbonnieux白
セカンドの白ワインはソーヴィニョンとセミヨンのブレンド。
9か月樽で熟成されています。
こちらもファーストより早く飲めるワインで、製造から3年が目安とのこと。
Château Tour Léognan白
若木から採れたブドウで作られているワインです。
ソーヴィニョン・ブランとセミヨンが使われていて、9か月樽熟成されています。
ワイナリー情報
住所;Château Carbonnieux, Chem. Peyssardet, 33850 Léognan
電話;+33 5 57 96 56 20
参考記事
シャトー・オーブリオンと同じオーナーのワイナリー、ドメーヌ・カンテュス
最後に
ワイナリー訪問したの数年前やから、また行きたいワイナリーです!
品質が高いながらも、ある程度の金額で買えるのが嬉しいよね。
Portes Ouvertesっていう、ワイナリー開放日に開放されてるワイナリーの一つやし、ボルドーからも近いので気楽に行けるのも嬉しい!
一般の方も訪問できるので、是非どうぞー
感想やこんな内容書いて欲しい!などあればお気軽に連絡ください。 sachiwines@gmail.com その他色々やってるので、良かったら見てください Instagram Twitter レストランブログ Facebook|Bordeaux-Japon.net ボルドージャポンネット Homepage|SachiWines 旧ブログ|レストランブロ
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