メドック1級シャトー、Château Lafite Rothschild

左岸

いつもふと頭に浮かんだワイナリーの特集記事を書いているのですが、ポイヤックのワイナリー記事が少ないですね…💦

1級シャトーの一つ、Château Lafite Rothschild(シャトー・ラフィット・ロートシルト)をお届けします!

1級シャトー、残るはムートン一つになりました!

その他、ワイナリー特集記事は1855年メドック格付けまとめから飛べるようになっているので、よろしければどうぞ。

 

 

歴史

今回も歴史長いです。

前に書いていたワイナリーたちも、歴史部分を強化しようと思っております。

1234年

ラフィットに関する最初の文献が残っています。

14世紀

ポイヤックの北にあるVertheuil(ヴェルトゥイユ)修道院の修道院長であるGombaud de Lafite(ゴンボー・ド・ラフィット)と共に、中世の領主としてのLafite(ラフィット)の存在が証明されています。

Lafite(ラフィット)の名前は、ガスコーニュ語の「la hite」、つまり「小さな丘」です。

おそらくこの頃には既にブドウ畑がありましたが、それはSégur(セギュール)と共にあったと思われます。

17世紀

ブドウ畑が確立され、Lafite(ラフィット)の評判が確立されました。

1670年頃

~1680年

Jacques de Ségur(ジャック・ド・セギュール)がLafite(ラフィット)のブドウを最初に植付けたといわれています。

1695年

Jacques de Ségur(ジャック・ド・セギュール)の相続人である息子のAlexandre(アレクサンドル)はChâteau Latour(シャトー・ラトゥール)の相続人である女性と結婚します。

この結婚によってNicolas-Alexandre de Ségur(ニコラ・アレクサンドル・ド・セギュール)が生まれます。

18世紀初頭

ロンドンでLafite(ラフィット)のワイン販売が始まります。

1707年

公式にLondon Gazette(ロンドン・ガゼット/ロンドン官報)に登場。

ロンドン市の公式オークションで、イギリス海賊とイギリス海軍の船によって押収された海外商船から販売された。

London Gazette(ロンドン・ガゼット/ロンドン官報)はLafite(ラフィット)のワインと他の澱と共に販売され、クリュとビンテージを正確に記載しているワインのことを「New French clarets(ニュー・フレンチ・クレレ)」と表現しました。

1716年

以降、Nicolas-Alexandre de Ségur(ニコラ・アレクサンドル・ド・セギュール)侯爵はワインの製造技術を改良し、海外市場の販売促進やヴェルサイユ宮殿の宮廷でワインの名声をあげることに焦点をあてました。

そして、彼は「Prince des Vignes(プランス・デ・ヴィーニュ/ブドウの王子)」、Lafite(ラフィット)のワインは「Vin du Roi(ヴァン・デュ・ロワ/ワインの王様)」とあだ名がつけられます。

そしてRichelieu(リシュリュー)元帥の支援を受けます。

1732~1733年

首相のRobert Walpole(ロバート・ウォルポール)は3か月に一回Lafite(ラフィット)の樽を購入しました。

しかし、フランスでボルドーの赤ワインに興味を持つのはずっと後のことです。

1755年

Richelieu(リシュリュー)元帥はGuyenne(ギュイエンヌ)知事に任命された時、彼はボルドーの医者に相談し、Château Lafite(シャトー・ラフィット)を最高で最も心地よい強壮剤として処方してもらうように頼みました。

すぐに、ヴェルサイユ宮殿では王に栄光を与えたLafite(ラフィット)のワインのこと以外話されなくなりました。

Pompadour(ポンパドゥール)婦人は彼女の夕食にLafite(ラフィット)のワインを飲み、その後Barry(バリー)婦人は王のワインだけを飲むように義務付けました。

~1785年

Nicolas-Alexandre de Ségur(ニコラ・アレクサンドル・ド・セギュール)侯爵には息子がおらず、財産が4人の娘に分けられました。

この財産分与によって、Lafite(ラフィット)とLatour(ラトゥール)が分けられました。

ただ、同じ家系によって管理されていました。

 

Lafite(ラフィット)はいとこと結婚した侯爵の長女の息子であり、パリの聖職者であるNicolas Marie Alexandre de Ségur(ニコラ・マリー・アレクサンドル・ド・セギュール)伯爵の所有となります。

1784年

借金返済のためにChâteau Lafite(シャトー・ラフィット)が売りに出されます。

販売者の親せきでり、ボルドー議会の初代議長であるNicolas Pierre de Pichard(ニコラ・ピエール・ド・ピシャール)はその後ワイナリーを購入しました。

 

将来のアメリカ大統領であるThomas Jefferson(トーマス・ジェファーソン)の素晴らしい著作からも明らかなようにLafite(ラフィット)は既にワインの最高位に居ました。

当時、ヴェルサイユ宮殿で在フランスアメリカ合衆国大使であった彼は、農業、実業家、政治家、弁護士、外交官であり、将来自国で発展させようと考えていたブドウ栽培に情熱を持っていました。

1787年5月

Thomas Jefferson(トーマス・ジェファーソン)は5日間ボルドーに滞在し、シャルトロンにある素晴らしいネゴシアンたちを訪問し、旅行記で報告するために十分な情報を収集しました。

彼は後に1級ワイナリーとなるChâteau Lafite(シャトー・ラフィット)を含む最高級のワインについて明記しています。

彼の残りの人生はボルドーのグラン・ヴァンの虜となりました。

1794年6月30日

Lafite(ラフィット)のオーナーであるSégur(セギュール)家の存在は恐怖政治下でNicolas Pierre de Pichard(ニコラ・ピエール・ド・ピシャール)の処刑により突然終わります。

1797年9月12日

Château Lafite(シャトー・ラフィット)の玄関には、この日に行われたワイナリーのオークションの開催を告げる非常に古いポスターが額装されています。

ワイナリーについては「le premier cru du médoc, produisant le premier vin de Bordeaux(ボルドー最高のワインを生産しているメドックのプルミエ・クリュ)」と表現されています。

買い手であるオランダ人のJean de Witt(ジャン・ド・ウィット)はすぐに同じオランダ人のネゴシアン3人に再販します。

Jean de Witt(ジャン・ド・ウィット)の短期間の所有により、Château Lafite(シャトー・ラフィット)は19世紀前半にワイナリーの管理をしていたJoseph Goudal(ジョゼフ・ゴーダル)を手に入れます。

1800年

Château Lafite(シャトー・ラフィット)の3人の所有者はJean Arend de Vos Van Steenvwyck(ジャン・アレンド・ド・ヴォ・ヴァン・スティーンヴィック)伯爵、Othon Guillaume Jean Berg(オトン・ギオーム・ジャン・ベルグ)、Jean Goll de Franckenstein(ジャン・ゴール・ド・フランケンシュテイン)です。

1815年

Lawton(ロートン)氏がクルティエ会社の機関誌にメドック最初の格付けを載せました。

この格付けは1855年のものとかなり似通っていました。

Château Lafite(シャトー・ラフィット)は既に頂点におり、「Je l’ai classé comme possédant le plus d’élégance et de délicatesse et sève plus fine des trois [premiers crus](最もエレガントで繊細、3っつのプルミエ・クリュの中で最も優れた芳醇さ) 」と表現されています。

さらに「La position de ses vignes est une des plus belles du Médoc(ブドウ畑が位置している場所はメドックで最も素晴らしい場所である)」と付け加えられています。

1818年

新たにChâteau Lafite(シャトー・ラフィット)を購入したのは、ナポレオン軍隊の重要な供給者で、大きな穀物商を行っていたIgnace-Joseph Vanlerberghe(イグナス・ジョゼフ・ヴァランベルグ)を夫に持つBarbe-Rosalie Lemaire(バルブ・ロザリー・ルメール)夫人でした。

1821年

Barbe-Rosalie Lemaire(バルブ・ロザリー・ルメール)夫人はイギリスのSamuel Scott(サムエル・スコット)卿にワイナリーを売却します。

1855年

パリの万博博覧会で「premier des premiers crus(一級の中の一級)」と表現される。

~1867年

Samuel Scott(サムエル・スコット)卿と息子はワイナリーの素晴らしく管理します。

1868年

8月8日、James de Rothschild(ジェーム・ド・ロスチャイルド)男爵はIgnace-Joseph Vanlerberghe(イグナス・ジョゼフ・ヴァランベルグ)の遺産相続の一環として公売に出されたChâteau Lafite(シャトー・ラフィット)を買収します。

James de Rothschild(ジェーム・ド・ロートシルト)男爵はRothschild(ロスチャイルド)一族のフランス家系のトップでしたが、購入から3か月後に亡くなりました。

それにより、Lafite(ラフィット)は彼の3人の息子Alphonse(アルフォンス)、Gustave(グスタヴ)とEdmond(エドモンド)に引き継がれ、彼らの共有財産となりました。

ワイナリーは74ヘクタールのブドウ畑を含みます。

この年はLafite(ラフィット)にとって記録に残る年でもありました。

というのも、プリムールでの販売価格が1樽6250フラン(現在の相場で4700€)という並外れた金額を打ち出したのです。

この記録は20世紀に大幅に超えるまで、1世紀間の記録となりました。

このメドック黄金時代と呼ばれる幸福の時代は、Alphonse(アルフォンス)、Gustave(グスタヴ)とEdmond(エドモンド)たちに15年ほど続きます。

19世紀後半

20世紀前半

一般的に悲惨な時代がやってきました。

フィロキセラの被害、ベト病がブドウ畑に蔓延、詐欺、第一次世界大戦などです。

ベト病の影響をかなり受けたChâteau Lafite Rothschild(シャトー・ラフィット・ロートシルト)は1882年や1886年、1910年~1915年にかけてのいくつかのビンテージなどを格下げしました。

ワイナリー内での瓶詰めも詐欺から戦う手法として採用されました。

1914~1918年

戦争の間、徴兵や補給制限の影響を強く受けました。

1930年代

経済危機の影響も受けます。

市場が低迷し、前例のない栽培面積の縮小を余儀なくされます。

1939~1945年

第二次世界大戦は異なる規模の試練でした。

1940年6月メドックは占領され、Châteaux Lafite Rothschild(シャトー・ラフィト・ロートシルト)とMouton Rothschild(ムートン・ロスチャイルド)にはドイツ軍の駐屯地ができました。

Rothschild(ロートシルト)家の財産は隔離され、行政下に置かれることになりました。

管理者の警戒のおかげで1942年にワイナリーが戻り、農業学校となりました。

困窮と物資不足により、要求が追加され、古いボトルの強奪が行われます。

1945年

年の終わり頃、Rothschild(ロートシルト)男爵らがワイナリーの所有に戻り、Elie(エリー)男爵がワイナリーの円滑な運営へと回復させます。

Elie(エリー)男爵はブドウ畑と建物の修復プログラムと、ワイナリー管理の再編成を行います。

1950年代

ワイナリー内の土地が低くなったところの牧草地を利用して、ブドウの木に肥料を与えるための乳牛の群れもこの時代に形成されました。

Elie(エリー)男爵はグラン・ヴァン市場の再建が困難な中で、重要な役割を果たした人の一人です。

彼はロンドンで最初のテイスティングのアクティブメンバーとなり、Commanderie du Bontemps du Médoc(コマンダリー・デュ・ボンタン・デュ・メドック/メドック・ボンタン騎士団)の創設メンバーの一人です。

1956年2月

ひどい霜の被害。

1960年代

アメリカのおかげで、市場が幅広く解放され、ルネッサンス期を迎えます。

Châteaux Lafite Rothschild(シャトー・ラフィト・ロートシルト)とMouton Rothschild(ムートン・ロスチャイルド)の対抗意識も、市場の相場回復に一役買います。

1973~1976年

ボルドー危機の後、Elie(エリー)男爵の甥であるEric(エリック)男爵がワイナリーを管理していました。

Eric(エリック)男爵の指揮下で、新しい技術チームの設立を通じて、ワイナリーに新たな刺激が与えられました。

ブドウ畑においては、植え替えと復元作業が合理的な植物病虫害防除処理と密接に関係しています。

醸造セラーにはオーク製タンクに加えてステンレスタンクが設置され、さらに

円形の美しい熟成施設も造られました。

この円形セラーはカタルーニャの建築家Ricardo Bofill(リカルド・ボフィル)の指示で造られました。

この革新的なセラーは2200樽を収納することができます。

1985年

同じ考えで、Eric(エリック)男爵はLafite(ラフィット)と写真家を繋げる芸術的展開を見せます。

その中にはJacques Henri Lartigue(ジャック・アンリ・ラルティーグ)、Irving Penn(アーヴィング・ペン)、Robert Doisneau(ロベール・ドアノー)やRichard Avedon(リチャード・アヴェドン)などがいました。

 

偉大なビンテージ

沢山の偉大なビンテージが存在します。

太字は、その中でもより良いビンテージです。

21世紀に入ってからは、悪いビンテージが生まれないと言われているので、今後も楽しみです!

参考記事;ボルドーワインの良年/悪年について

18世紀 1795、1798
19世紀 1801、1802、1814、1815、1818、1834、1841、1846、1847、1848、1858、1864、1869、1870、1876
20世紀 1945、1947、1949、1955、1959、1961、1975、1976、1980、1982、1986、198819891990、1995、1996
21世紀 200520092010

ブドウ畑

敷地面積は…260ヘクタールもあります!

敷地内にはもちろん醸造や熟成の施設、そして森が広がります。

畑面積はなんと110ヘクタール

そしてそのうち4.5ヘクタールはAOCサンテステフ内にあります。

が、歴史的にこの畑を持っていたので、AOCポイヤックのラフィットとして使用可能です。

土壌

メドックらしい土壌を持っています。

大小のグラーヴと呼ばれる石が地表に広がり、その下は石灰や粘土、砂などが。

ブドウ品種

4品種植えられていて、割合は

  • 70%カベルネ・ソーヴィニョン
  • 25%メルロー
  • 3%カベルネ・フラン
  • 2%プティ・ヴェルド

収穫から醸造

収穫は手摘み。

基本的には9月末から収穫を行います。

ブドウ畑もかなり大きいので、収穫者はなんと300人!

房毎に選果、除梗をして実だけで選果を行っていて、

2009年からはレーザー選果機を導入しています。

醸造

タンクはステンレスタンク、木製タンク、コンクリートタンクを使用しています。

基本的に、ですが木製タンクではカベルネ・ソーヴィニョンを、コンクリートタンクではメルロを、ステンレスタンクでは若木からとれたブドウを醸造します。

アルコール発酵前に低温での醸しを行います。

その後アルコール発酵とマロラクティック発酵をタンク内で行います。

アルコール発酵中はルモンタージュを1日に2回。

(ルモンタージュについてはワイン醸造:アルコール発酵について。をご覧ください。)

熟成

熟成セラーは13~14度、湿度が70~80%と一定です。

大体1月~2月にかけての間にワインが樽に入れられます。

その後3月くらいにブレンドを。

地下にブレンド用のコンクリートタンクがあるので、それを使います。

ブレンド後、さらに熟成を行います。

熟成中はボルドーの伝統的な作業を行います。

熟成期間と新樽使用率

18~20カ月、100%新樽使用と、さすが1級ワイナリーです。

もちろん、年によって多少変化があります。

まとめ

ブドウ品種

70%カベルネ・ソーヴィニョン

25%メルロー

3%カベルネ・フラン

2%プティ・ヴェルド

タンク

ステンレスタンク

木製タンク

コンクリートタンク

熟成期間

18~20カ月

新樽使用率

100%

ワイナリー情報

Château Lafite Rothschild(シャトー・ラフィット・ロートシルト)

住所;33250 Pauillac

電話;+33 5 56 73 18 18

メール;

参考記事

1855年メドック格付けまとめ

ワイナリーSNSまとめ、メドック編

メドック格付けワイナリー、セカンドワインリスト

2018年野田祥子的メドック格付け

メドック地方の土地柄を詳しく!

ワイン醸造:アルコール発酵について。

ボルドーワイン=ブレンドワイン

最近のボルドーワインについて

エレベータータンクについて。

ボルドーでのステンレスタンク

ボルドーでのコンクリートタンク。

ボルドーワインの良年/悪年について

ボルドー、五大シャトーの見学について。

 

見学

ボルドー、五大シャトーの見学について。でもお届けしているので、その他ワイナリーをご覧になりたい方はこちらをご覧ください。

ラフィットは見学無料です。

と言っても、1日の見学人数がかなり制限されているので、かなり前に連絡をする必要があります。

観光客も多く来るワイナリーですので、行きたい方は早めの連絡をお勧めします!

最後に

如何だったでしょうか。

最近書いているボルドーのワイナリーは長い歴史を持つワイナリーばかりですね。

次の記事はちょっと趣向を変えているので、見て頂けると嬉しいです。

メドック格付けワイナリーの特集記事も終わりが見えてきたので…訪問できてないところ急いで行かなきゃ!


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